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コラム

サルヴァトーレ・フェラガモ

  • 2019.01.18
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誰もが知っているハイブランド、サルヴァトーレ・フェラガモ。

今回はスーパーブランド、サルヴァトーレ・フェラガモの歴史を振り返ってみたいと思います。

 

 

サルヴァトーレ・フェラガモは1898年、14人中の11番目の子供としてイタリアのカンパニア州に誕生しました。10歳にも満たない時に、妹が教会の洗礼式に履いて行くための靴を作ったのが靴職人としての始まりだと言われています。

そして、なんと11歳にして自宅で靴屋をはじめます。

兄弟がアメリカにあるブーツ工場に勤めていた影響もあり、兄の元へアメリカに渡りました。

1919年にはカリフォルニア州サンタバーバラで靴の修理とオーダーメイド製作のお店を開店しました。

サルヴァトーレ・フェラガモが作り出す靴は、瞬く間にハリウッドスターたちの評判の的となりました。

1923年にはハリウッドに「ハリウッドブーツショップ」を開店させます。

セレブやハリウッドスターたちを顧客に持ち、映画の衣装としての靴を手掛けたりと、いつしかサルヴァトーレ・フェラガモは”スターの靴職人“と呼ばれるまでになりました。

 

その後、フェラガモは1927年にイタリアへ戻り、フィレンツェに自分の靴工房「サルヴァトーレ フェラガモ」を創業します。

ハリウッドで名声を集めたのに、なぜイタリアに戻り店をOPENさせたのかというとハリウッドでは兄の勧めでもある機械での生産が中心でした。

機械での生産といっても彼の作る木型に沿って作られる靴ですので履き心地は他のブランドで製造される靴とは比べものにならないほど良く出来ていました。しかし完璧を求める彼にとっては納得のいくものではありませんでした。

こだわりの強いサルヴァトーレ・フェラガモは機械ではなく手作りによる靴を作りたかったのです。

 

サルヴァトーレ・フェラガモの「手作業の靴を作る」というコンセプトと「ハリウッドで名声を上げた靴職人の凱旋」のニュースはあっと言う間に話題となり有名販売店や上流階級の女性などからの注文が殺到しました。

 

工房にはイタリア・トスカーナ地方の腕利きの職人60人が集められました。これで機械生産に負けない大量生産で、手作りの最高の靴を世界に届けることを目指したのです。

高い目標と志を持ちスタートしたフェラガモですが、そこには思いもよらなかった大きな壁が待ち受けていたのです。

雇っていた職人は気が付けば半分に減ってしまいました。また、雇っていた職人も仕事は何もしていません。

原因は、経営者であるサルヴァトーレ・フェラガモのやり方への不満でした。

 

腕利きの職人を集めたのが裏目に出てしまったのです。彼らは自分のやり方にプライドを持ち作ってきたので、新しい意見を取り入れる事が出来なかったのです。

それぞれの作り方で進めてしまうので、統一した靴を作る事ができませんでした。

このままでは、ブランドを存続させていくことは出来ないと、全てを一からやり直すことを決断します。

半分に減っていた職人たちを全て解雇し靴職人を目指す若き人材を集めたのです。

1足を1人の手で作らせるのではなく、パーツに分け作業に当たらせることにより、手作業で大量の靴を正確にスピーディーに作る事を目指しました。

このようにして、大きな危機を乗り越えたフェラガモでしたがまたもや試練の時がやってきます。

 

1929年の世界恐慌です。

当時ニューヨークを商品の輸出拠点としていたので、この世界恐慌でポンド・ドルが大幅に価値を失うことになりハリウッドの販売店を売却せざるをえない状況に追い込まれます。

事業は伸びているにも関わらず1933年、ついにフェラガモは倒産をします。

失意の底にあったフェラガモでしたが、昔からの顧客や各国の上流階級の顧客から支援の手が差し伸べられたのです。

そうして1938年にはフィレンツェの歴史的な建造物、スピーニ・フェローニ宮殿を購入して工房とフィレンツェ本店とをオープンさせます。

1939年ころにはアメリカ・フランス・イギリス・オランダ・ドイツ・チェコスロバキア・オーストラリア・カナダなど当時の主要な先進国で販売されるまでに復活を成し遂げたのです。

 

サルヴァトーレ・フェラガモがどん底に落ちるまでになっても、なぜ支持をされ続けたのかというと、彼の作り上げる靴は、足を美しく見せるという事だけではなく、一人一人の骨格に合わせ歪みまでも治してしまうという魔法のような靴だったからです。

昔、人体解剖を学び「履きやすく、歩きやすい靴」の追求をしたフェラガモの精神がしっかりと実を結んだことを意味したのです。

 

第二次世界大戦中は毛皮や金具などの必要な商材が手に入らなくなり一時休業状態に追い込まれましたが逆境をチャンスに変えます。それがコルクやセロファンの新素材を使った「ウェッジソール」の登場です。

その後も数々の新素材の活用や画期的なシューズを送り出し数々の特許を取得し、いつしかフェラガモは「夢の靴職人」と呼ばれるようになりました。

 

その後サルヴァトーレ・フェラガモは1960年にこの世を去りますが、妻と子供達によって事業が引き継がれ靴だけではなく洋服やバッグ、小物に至るまでのトータルファッションブランドへと成長を遂げて行くのです。

それはフェラガモの目指した将来のブランド像でもありました。

フェラガモは生前、後の事を考え長女ファンマには自身のアトリエで修業をさせ靴と革製品のデザインの勉強をさせ責任者とさせました。次女のジョバンナにはファッションの専門学校に行かせ1958年には百貨店にコーナーを持つなど大成功を収めました。

1969年ハンドバッグの「ガンチーニ」の登場。1978年にはファンマのデザインにより、フェラガモの代名詞ともなる「ヴァラ」が誕生しフェラガモ人気は不動のものとなったのです。

 

現在となっては誰もが知っているフェラガモブランドは「履きやすい靴の追求」を諦めることなく突き進んでいった創業者サルヴァトーレ・フェラガモの継承でもあるのです。

 

フェラガモのお手放しをお考えであれば、お気軽にご相談ください。

 

フェラガモの代表的なライン

 

ガンチーニ

「小さな留め金(フック)」という意味で、フェラガモのアイコンマークにもなるようになりました。

ハンドバッグの留め金具として初めて世に出てきた後、様々なアイテムに使われており、フェラガモの顔として広く認識されています。

 

ヴァラ

ガンチーニに次ぐフェラガモの定番モチーフ。

リボンモチーフのアイコンで、パンプスのイメージが強いと思います。

大人の女性のファンも多い、上品なリボンのモチーフです。

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