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コラム

PATEK PHILIPPE (パテック・フィリップ)

  • 2018.12.13
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パテック・フィリップと言えば、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲとともに世界3大時計メーカーとして数えられるスイスの高級時計メーカーで中古市場でも高額買取が可能な時計ブランドのひとつです。

 

今回は、この誰もが一度は手にしたいと憧れる超高級時計「パテック・フィリップ」をご紹介したいと思います。

 

18世紀の末、ポーランドはその大部分がロシアの圧政下にありました。

1830年にポーランド軍が反乱を起こしますが、最後には制圧され多数のポーランド人が、近隣諸国に亡命したといいます。

その中にアントワーヌ・ノルベール・パテックという貴族がいました。

彼はスイスのジュネーブに安住の地を求めます。

パテックは亡命者という立場ではあったものの、莫大な資産と先見の明を有しており、フランソワ・チャペックという時計師を見出し、時計産業に生涯をかける決心をします。

 

1839年、創業者のアントワーヌ・ノルベール・パテックと有能な時計師であるフランソワ・チャペックの2人によって、スイスのジュネーブに「パテック・フィリップ」の前身である「パテック・チャペック社」が設立されました。

これが「パテック・フィリップ」の始まりです。

 

6名の工員を抱える「パテック・チャペック社」は、小規模ながら高品質な懐中時計を生産していました。

製品の評判は上々で、1844年に開催されたパリ万博に出品するまでに至ります。

 

そしてこのパリ万博で素晴らしい時計と出会いました。

ジャン・アドリアン・フィリップが制作したリューズ巻き、針合わせ機構を備えた懐中時計です。

当時の時計は、リューズの代わりにカギでゼンマイの巻き上げや時間調整を行うカギ巻き方式でした。

ですが、このカギ巻き方式は機構上の欠陥によってトラブルが大変多く、何よりも取り扱いが非常に厄介だったそうです。

 

パリでも有数の時計職人であるジャン・アドリアン・フィリップが試行錯誤の末、リューズ巻き方式を薄型ポケットウォッチに搭載して1844年のパリ万博に出品し、見事に入賞を果たします。

パテックはこのリューズ巻き、針合わせの機構に大変感銘を受け、2人は意気投合します。

翌年にはチャペックに代わってフィリップが技術者に就任し、社名を「patek&cie」に変更し、パテックの相棒であったチャペックが会社を去りました。

その後チャペックはポーランド、フランスで時計を製造していたそうですが、1869年ごろに会社を清算し、その後の消息は不明だという事です。

 

1851年にはジャン・アドリアン・フィリップが正式に共同経営者となり、社名を「パテック・フィリップ社」に改め、今に続くパテック・フィリップの名が生まれました。

 

同年にロンドンのクリスタル・パレスで開催された初の万博博覧会に、リューズによるゼンマイ巻き上げ、時刻合わせ機能を備えた懐中時計を出品。

この際、ヴィクトリア女王がリューズ巻き上げ、時刻合わせ方式の18金ペンダントウォッチを購入。

ヴィクトリア女王をはじめ、各国の要人から高い評価を獲得し、時計製造メーカーとして世界的な名声を得ることになります。

アインシュタインやワーグナー、チャイコフスキーやウォルト・ディズニーなどの著名人や日本でも昭和天皇が愛用していたことでも有名です。

 

1877年アントワーヌ・ノルベール・パテックが死去。

ジャン・アドリアン・フィリップがただ一人の経営者として、社の理想を追求していくことになりました。

 

その後、1891年にジャン・アドリアン・フィリップは息子のジョセフ・エミールに経営を譲り、3年後の1894年に亡くなりました。

 

1901年、会社は株式組織となり、社名を「Ancienne Manufacture d’Horlogerie Patek Philippe&Cie,S.A.」(伝統あるマニュファクチュール パテック・フィリップ株式会社)に変更します。

 

そのころ世の中は懐中時計から腕時計を求める時代へ突入していました。

 

1907年、フィリップの息子であるジョセフ・エミールが亡くなり、その息子アドリアンが社長に就任します。

アドリアンはパテック・フィリップ創業者の家族で、社の経営にたずさわった最後の人物です。

 

1914年に始まった第一次世界大戦は、腕時計を普及させる契機となり、多くの懐中時計メーカーが腕時計の分野へ進出します。

パテック・フィリップも精力的に腕時計の開発を進め、1916年には複雑機能搭載婦人用腕時計、1922年にはスプリット秒針クロノグラフ付き腕時計、1925年には永久カレンダー搭載腕時計を次々と発表します。

 

しかし、1929年の世界大恐慌のあおりを受けて経営が悪化し、アドリアンは社を手放すことを余儀なくされます。

パテック・フィリップに独占的に文字盤を供給していた文字盤製作所のスターン兄弟によって買収され、現在の社名である「Patek Philippe S.A.」に変更されました。

 

1932年スターン兄弟は新任の社長ジャン・フィスターに経営を委ねます。

フィスターは効果的な政策を実施し、製造工程の完全な把握を実現。

当時アールデコ芸術の様式が続きシンプルなデザインへの回帰が望まれ始めていたころ、パテック・フィリップは最初のライン、カラトラバ・コレクションを発表しました。

 

ちなみにこの「カラトラバ」の名前は、12世紀イスラム勢と戦ったスペインのカラトラバ騎士団に由来します。

カラトラバ騎士団とは、スペインで初めて設立された戦闘騎士団です。

1164年の9月26日、ローマ教皇だったアレクサンデル3世の許可を得て12世紀にカスティーリャでシトー会の傘下騎士団として設立しました。

パテック・フィリップでは、カラトラバ騎士団の勇気を讃えるため騎士団の紋章であるカラトラバ十字を社のエンブレムとして採用しました。

 

また、1927年から1933年にかけてアメリカの大富豪ヘンリー・グレーブス・ジュニアからティファニーを通じて「史上一番複雑な時計」を受注し、24機構の複雑時計「グレーブス・ウォッチ」を制作。

 

1948年にはエレクトロニクス部門を設立。

クオーツ・ムーブメントの製造を目指します。

 

古くから王侯貴族に愛用されてきたパテック・フィリップのステータス性は世界の富が集まるクリスティーズ・サザビーズ・フィリップスなどのオークションハウスでの落札価格からも他にない資産価値を持つと言うことがわかります。

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